「人はいませんでした。私の知る限りで一番近い施設は、市民会館ですね。うちの近所の」
 たいへん適当に建物内部をマッピングした紙をテーブル中央に突き出して、湯田賀子(ゆだ
 かこ)は椅子に座る全員の顔を見渡した。
 憔悴している者、不貞腐れている者、そわそわしている者、期待に満ちて賀子の顔を見つめ
ている者、態度はそれぞれだ。自分は強いのだろうかと、無表情を装ったまま賀子は思う。で
なければ鈍いのだ。多分まだ自分は、この状況を客観視できていない。だから冷静に建物の
探索などができるし、その経過を他の者に伝えようなどとも考えるのだ。
 現実だということは認識しているのだが、どうも危機感がない。巨悪の組織に拉致されたと
か、宇宙人に誘拐されたとか、あるいはテレビのドッキリだとか、ベタな可能性を把握してはい
るが、まあどうにかなるだろうと思っている。国家組織や宇宙人が相手ならどうにもならないだ
ろうが、それはそれでいい。どうにもならないという点で、どうにかなる。
 正直なところ、自分でも何を考えているのか判らない。漠然と『どうにかなる』と思っているだ
けだ。根拠とかそういうものを差し置いて、とにかくそう思っている。宇宙人の可能性を考えな
がら、それでもだ。
 他人にうまく説明はできないが、賀子はそういう人間なのだから、それはどうにもならない。
「市民会館」
 少し長い間を置いて、賀子の用いた言葉を繰り返したのは、一番離れた席に座っている男だ
った。
 ちなみに賀子らが囲んでいるのは、ごくありふれたビジネステーブルだ。白天板で、脚は金属
パイプ。横幅のあるパイプ椅子のせいで少し窮屈だが、七人全員が囲める。いずれもこの、全
員が目を覚ました部屋に据え付けられていたものだ。壁も床も備品も白いとなると、ますます
ベタかつ不可解だななどと、目覚めてすぐ賀子は考えた。部屋の広さは十四畳ほど。鼻に感じ
る匂いは、ゴムかペンキか。最初に抱いた印象は、あまり使われていない会議室、というもの
だった。賀子の会社にも似たような部屋がある。ここまで何もかもが白くはないが。
「言われてみれば、そうですね。そんな感じかも知れません」
 男――確か志度亮介(しど りょうすけ)と言ったか。三十二歳会社員と名乗った彼は、その
わりと整った面を難しげにしかめ、言葉を続けた。
「僕は一階を見てきたんですけど――あ、ここは二階なんです。確かに市民会館というか、多
目的施設という感じですね。どの部屋も、ここと同じような感じで、備品も大体同じです」
 志度はここにいる誰よりも早く勇気を発揮して、とにかくこの建物の探索を行うと言い出し、実
際ひとりで出て行った。彼が――釈然としない、というような表情をしながらも――無事に戻っ
てきてから、賀子ともう一人で本格的なマッピングを行ってきたのだ。志度がそれに付いて来な
かった理由は判らないが、まあ危険がないらしいことが判った以上、それはどうでもよかった。
 賀子は志度に頷いてから説明を再開した。
「建物は三階建てです。ワンフロアには、ここと同じくらいの部屋が六室くらい。歩いた感じ、そ
んなには広くありません。外に面したいくつかの部屋には窓があるし、鍵も掛かっていませんで
した。何より一階には出入り口があるし、その扉も開きます。外には出られる。ちなみに明るか
ったですよ」
 ざわっと声が起きた。そろそろ皆の最大関心が、『ここはどこか』から、『なぜここにいるのか』
ということにシフトしつつある。それを少しでも深く考えた場合、出口に関する興味が沸いてくる
のも当然だ。少なくとも監禁されている訳ではない。賀子もそれを確認するために、まず何より
も急いで出口を探した。
「外というと、近くに民家などは?」
 その質問の着眼点が、鋭いのかぼけているのか、もう賀子には判らなくなっている。そういう
問題でさえない、ということを知っているからだろうか。
 だから回答の言葉を整理するためにも、賀子は質問者の血走った目を見た。
「……ええと、あなたは確か」
「井上だ。井上春先(いのうえ はるさき)」
「ああ」
 五十一歳、弁護士だったか。目覚めてからこっち、部屋の隅で頭を抱えていたが、今は少し
持ち直したようで、眼鏡の奥で目を見開いている。やや神経質そうではあるが、知的な顔をし
ている。
「民家があるなら、話をして――」
「ありません」
 短く切り返してしまってから、賀子は咳払いして、もう一度繰り返した。
「民家はありません。というか、何もありません。砂漠です。見渡す限り、砂漠」
 一瞬しんとしてから、またざわめきが起きた。井上がテーブルを叩く。
「な、何を言っているんだ!」
「砂漠なんですよ。他には何も見えない。何もないから、遠くまで見渡せるんですけど、たぶん
何時間か歩いてみても、ずっと砂漠だと思います」
「砂漠う――」
 唸るように呟いて、井上はがくりと首を垂れた。何か猛烈に考えているのだろう、相変わらず
目は血走っている。
「鳥取砂丘とか?」
 可愛らしい声を震わせながら、おそるおそるというようにそう言ったのは、バジャマ姿の少女
だった。確か中学二年生、旭奈津(あさひ なつ)。七人の中で最年少の彼女はしばらく啜り泣
いていたが、他の者になだめられたこともあって、今は少し落ち着いたようだった。
「何も判らない以上は違うとも言い切れないけど、鳥取砂丘にこんな建物はないと思います。あ
と、海が近くにある感じはしないですね。すごく静か。ちなみに暖かかったけど、それほど暑い
とは感じませんでした」
「じゃあ、ここはどこなんだよっ!」
 井上よろしくテーブルを叩いて、銀山純(かなやま じゅん)が怒鳴った。大学二年生、図体は
大きいが、彼も目覚めてからずっと涙目だ。
「砂漠って、そんな――そんな」
「三階の窓から見ても、ずっと砂漠でした。気になるなら皆さん、ご自分でお確かめになってくだ
さい」
 席を立ったのは、井上と銀山だった。ぎゅっと自分の肩を抱く奈津と、おそらく自分でも確認し
たのだろう志度、賀子と一緒に確認した水野栄介(みずの えいすけ)は席から離れない。六
十二歳だと申告したがそれよりいくらか若く見える水野は、一人で行こうとする賀子に「女性一
人では」と付き添ってくれた。奈津や銀山、今までほとんど言葉を発していない五十歳主婦、因
幡和枝(いなば かずえ)をずっと励ましていたのも彼である。今この状況では、他の誰よりも
頼りになると賀子は思っていた。
 二人が出て行った白い扉を眺めながら、志度が沈んだ声を発した。
「ここ、日本なんでしょうか」
「悩ましいですね」
 また短く答えた賀子を、志度は怪訝そうな顔で見る。この女は妙に冷静だな、などと考えてい
るのだろう。賀子も自分でそう思うが、かえすがえす、性分なのだから仕方ない。
「どの部屋も、備品は似たり寄ったりです。椅子、テーブル、あとはホワイトボードですね。本と
か新聞とか、そういうものは一切ありませんでした。よね」
 マッピングに同行した水野が深く頷いて、賀子の言葉を引き取った。
「文字の書いてあるものがこれっぽっちも見当たりゃせん。椅子やら机やら引っ繰り返してみた
が、メーカーも何も書いてない」
「ホワイトボードは」
 そう言って志度が身を乗り出した。
「僕は見ませんでしたが、ホワイトボードがあるんでしたよね。書くもの、ペンとか、そういうもの
は」
「あったんだが、それもメーカーは判らん。ラベルがなかった」
 賀子も水野も、外の景色を見てからは、とにかく現在地が判りそうなものを探した。しかし何
も見当たらず、結局判ったことは「何が何だか判らない」ということだけだった。賀子の頭の中
では、巨悪の組織とドッキリの可能性が高まりつつある。宇宙人ならペンのラベルは剥がすま
い。
「電気は来てるんですよね」
 志度が白い蛍光灯を見上げ、少しだけ安堵の表情を見せる。しかし賀子は同じ顔をする気
にはなれない。賀子が口にしようと思った言葉を発したのは、意外にも奈津だった。
「自家発電とか、かも」
「何?」
「うち、あの……アサヒ電気で。ご存知ですか。ソーラーシステムとか提供してて、……世界中
に」
「あんた、アサヒのお嬢さんかい」
 水野の問いに、奈津は小さく頷いた。賀子も新聞か何かで目にしたことがある。アサヒ電気と
いう日本の企業が、従来よりも強力な太陽光発電システムを開発し、世界からも大きく評価さ
れたという話だ。企業向けの高価なものであるらしかったし、詳しいことなどはさっぱり知らない
が、マスコミでは画期的だのと騒がれていた。
 奈津の家が開発したそれと、ここの電力源が同じであるかどうかなどは判らないが、少なくと
も、自家発電の可能性はあるということだ。つまり砂漠の真ん中にあるこの建物は、どことも繋
がっていないのかも知れない。
「す、水道は」
「三階にトイレがありましたけど、水は出ませんでした。水道は来てないんじゃないでしょうか」
 そこで、皆が黙った。志度は拳を握り込んで何やら考えている。奈津は震えながら自分の肩
を抱いて、水野がそれをなだめている。
 青い顔をして俯いていた因幡が、ごく小さな、小さな声で呟いた。
「死ぬじゃない」
 全員の視線がさっと因幡に流れる。
「もしここが、本当に砂漠の真ん中で。水道も来てなかったら。このまま放っておかれたら」
 因幡の両手が、井上よりも銀山よりも強く、テーブルを叩いた。
「死ぬじゃない!」
 死ぬかも知れないと、賀子はテーブルを押さえながら考えていた。



1 迷いびとたち  終

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