三階の一番奥、他よりもやや狭いような気のするその部屋には、いかにも怪しげなクローゼ
ットがあった。
 水野と一緒に館内を回った時、この部屋にも立ち寄りはしたが、なんとなくそれは開かなかっ
た。「死体でも入ってるんじゃなかろうか」という水野の言葉を真に受けた訳ではないが、とにか
くなんとなく、放置していた。
 その取っ手を今、奈津に上着を貸してシャツ姿になった志度が掴んでいる。彼も緊張してい
るようだった。
「死体が出たら、外に出すべきかねえ」
 水野の呟きに嫌そうな顔をしながらも、志度は取っ手を引いた。扉は音もなくスライドする。
 全員が一斉にクローゼットの中を覗き込んだ。
「お――」
 そこには、収納スペースいっぱいにダンボール箱が積まれていた。やはり箱の表面にも印刷
などはない。
「死体じゃねえな。爆弾か?」
 冗談なのか何なのか、水野がさらりと言いながら手を伸ばし、一番上のダンボールを下ろそ
うとする。
「む、……重いぞ。死体かも知れん」
「やりましょう」
 志度が水野を押し退けて、その両手で抱えるほどの箱を持ち上げ、床に下ろした。賀子もそ
れに手を伸ばし、持ち上げてみようとしたが、水野の言うようにかなり重い。十キロ、もう少しあ
るか。
「えっと。開けます」
 シャツの袖をまくった志度が、きっちりと封をしているガムテープに手をかける。ビリビリと剥
がれていくそれを全員で注視した。奈津は震えながら賀子の背中に隠れている。死体やら爆
弾やらを本気で警戒しているのだろうか。確かに、そのくらいは出てきてもおかしくない気はす
るが。
 しかし実際、中に詰められていたのは、真新しいペットボトルだった。二リットルサイズで六
本。中には水だろうか、透明な液体が入っている。
「水か!?」
 叫んだ井上がダンボールの蓋を破り、中身を床に取り出した。やはりラベルなどはないが、
未開封のミネラルウォーターのボトルに見える。
「これ全部かな」
 志度が二箱目に手を伸ばしている。ざっと数えただけでも三十箱はあった。すべて水なら、七
人で消費したとしても、ひとまず一ヶ月程度は持つだろう。人間が水だけで生きられる期間が
どれほどかは判らないが、半月くらいは凌げるとどこかで聞いたような気がする。
「んん、これも水か……。とりあえず全部出してみよう。君、銀山くんか。手伝ってもらえるかな」
「あ、ああ」
 若い男がダンボールを下ろしている間に、残りの人員でペットボトルをそれぞれ手に取り、上
から下まで眺めての検分を始めた。
「毒とか入っとりゃせんだろうな」
「新品のようですね。細工の痕跡などはない、と思います」
「飲める……?」
「どうかなあ」
 水野が蓋を開け、鼻を突っ込んで匂いを嗅ぐ。首を捻ってから数滴手のひらに落とし、それ
を少し舐めた。行動派だ。
「大丈夫ですか」
 と言いながらじっと観察する井上は慎重派である。結婚するなら水野だ、孫までいるが。と賀
子はあさってなことを考える。
「んー。水だな」
「こう、舌が痺れるとか」
「別にない。普通の水なんじゃねえかなあ。兄さんがた、箱は全部同じかね?」
「あ。何か今、妙に軽いのがありました」
 そう言いながら、額に汗を浮かせた志度が新しい箱を運んできた。大きさは他のものと変わ
らないが、抱え方を見るに、確かにずいぶん軽そうに見えた。
 志度がガムテープを剥がすと、小さな歓声が上がった。
 文庫本よりは少し小さいくらいの、紙製の黄色い箱がぎっしりと詰まっている。日本人にはと
ても馴染み深いその外観。大塚製薬株式会社の誇る栄養調整食品、カロリーメイトのブロック
四本パックだ。 
「おお」
「二十……六十個入っていますね」
「まだある。こっちの二箱も軽い。奥の方にもっとあるかも」
「百八十個として、七人で分配すると、二十五個ですね」
「確かこれは、一日二箱の摂取で大丈夫だったはずです、栄養的には」
「とすると、半月くらいは何とか、食糧の心配はしなくていいのかな」
 誰が何のために用意したものかは知れないが、とにかくそれぞれ、ほんの少しだけ安堵した
表情を見せる。ひとまず餓死の恐怖だけは遠ざかった。まだ毒物等の心配はあるが、国産の
加工食品を目にしたことでほっとした部分もある。だからといって別に、ここが日本だとは限ら
ないし、むしろその可能性はかなり低いだろう、と賀子も考えてはいるのだが。
 すべてのダンボールの中身を確認し終えたのは、それから三十分ほど後のことだった。おお
よそ半月分か、それより少し多い程度の水と食糧である。あれから水野がコップ一杯分ほどの
水を飲んでいたが、これといって体調の変化なども起きなかった。
「ひとまず、全員で分配しようか」
 水野の指示に一瞬、微妙な空気が流れたが、水の安全性を証明した人柱の言葉ということ
もあり、誰も何も言わなかった。
「ここで欲かいたりするヤツが真っ先に死ぬんだよな、パニック映画とかだと」
 という銀山の、独り言にしては大きく聞こえた声の影響があったのかどうかは判らない。とに
かく、すべての食糧と水は、おおかた平等にそれぞれへ分配されることになった。
「俺、ドライフルーツ食えないんだけど」
「僕はチーズが駄目だ。交換しよう」
「野菜味……だめ……」
「チョコ人気ですね。じゃあベジタブルは私に寄せてください。井上さんは?」
「何でも結構。どれも甘いんだろう。つらいな」
「贅沢言ってる場合じゃないわなあ。とにかくまあ、よかったよ」
 持ち歩くわけにも行かないため、それぞれが部屋の隅にスペースを設け、そこに自分の分の
割り当てを寄せることになった。
 水のペットボトルを眺めながら、奈津がぽつりと「トイレの水……」と呟いた。ここに来るまでに
立ち寄ったトイレが水洗式で、しかも水が出なかったということを考えているのだろう。
「自分の分の水をどう使ってもいいとは思いますけど、大事にした方がいいですよ」
 賀子がそう言うと、奈津はこくりと頷いた。確かに実際、やぶさかにできない問題であるとは
思う。トイレを使うよりは外に出た方がいいのかも知れない。幸いというか、あたり一帯は砂漠
であるのだし。
「電灯は全部の部屋と、廊下にもある」
 自分で描いた館内図を見ながら、井上はそう言った。ちなみに賀子が描いたものよりも精巧
で判りやすい。絵心がある。
「どこにもスイッチは見当たらなくて、電気系統の大元がどこにあるのかも判らん。冷暖房はな
い――ないよな?」
 多分、と志度が答えた。
「だけど暑くも寒くもないですよね。少し暖かい気はしますけど」
「夜になると冷えたりするんだろうか」
「さあ、それは何とも……」
「私たちはどうしたらいいんだろうか」
 それは何とも、と志度はもう一度繰り返した。



3 最低限の生命線  終

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