賀子は人が思うほど特殊な女ではない。
 歩んできた人生も至って普通だ。会社員の父と専業主婦の母の間に生まれ、公立の幼稚
園、小学校、中学校、高校、短大を出た。現在の中堅企業に就職したのは二年前、二十歳の
時だ。一般職のOLとして、それなりに精を出し、それなりに力を抜いて仕事をしている。どの部
分を切り取っても、平々凡々な人生である。
 だが如何せん、言動が一般ずれしているものだから、変わり者というレッテルを貼られること
が多い。賀子は己で己を、ただ極端にマイペースなのだと判じているのだが、それだけのこと
がなかなか他人には伝わらない。賀子とて笑うし怒るし、たまには恋愛映画で感動することも
ある。ただその表層的な起伏が人よりは小さいというだけなのだ。感情が薄いとか、そんなこと
はまったくない。強いて言えば顔の筋肉は固めなのかも知れないが、それでもおかしい時は笑
い、苛ついた時は怒っているつもりだ。ただ確かに、多少冷めている部分はあると自覚してい
るから、それほどムキになって感情を訴えることはない。
「だから」
 水を一口飲んで、賀子は話を続けた。
「別に動揺していない訳ではないんですけど。ただ私が泣き喚いても、事態は好転しないでしょ
う」
「合理的なんだ」
「無気力なんです」
 なんとなく感心するような顔をして、銀山は賀子をまじまじと見た。
「変わってんね。見た感じ普通のお姉さんなのに」
「そうですか」
「なんで敬語なの。俺の方が年下なのに」
「敬語というか丁寧語ですね。ただの癖です」
「それがもう普通じゃねえ気がするんだけど」
「単に面倒なんですよ。普通の話し言葉を使っても、なんとなく不自然な気がするって言うか。
女言葉は変な気がするし、それ以外の言葉は乱暴な気がするから。こういう話し方が一番楽な
んです。ほとんど誰に対しても使えるし」
「いや、すげえ変わってるよそれ」
 そうですかと答えて、賀子は少し笑った。あまり理解されたことはないが、別に理解してもらう
必要はないとも思う。重要なのは論旨であり、口調ではない。
「私からすれば、あなたの口調の方が不思議ですけど」
「何で?」
「『やらないか』を『やらねえか』とか。『すごく大きい』を『すげえでかい』とか。いちいち崩すの、
面倒じゃないですか」
「えー? いや、そんなん癖みてえなもんだし」
「同じですよ」
「そうかなあ」
 不満そうな顔をしながらも、銀山は腕時計に目を落とした。
「あ、そろそろ六時んなる」
「そうですか」
 水と食糧を分配し、建物の探索を終えてから最初の部屋に戻ってきて、そろそろ三十分ほど
経つのか。することの見当も付かず、各人それぞれ雑談などをして過ごしていた。因幡だけは
部屋の隅に転がり、静かに寝息を立てている。体調が悪いのではないかと水野が心配してい
たが、それに何と答えていたのか、賀子は知らない。
「――明日は娘の誕生日なんですよ」
 不意にそんな会話が聞こえてきて、賀子は声の方を振り向いた。
 テーブルについている井上と水野だ。ちなみに賀子らは、壁に背をつけて床に座っている。
志度と奈津も、少し離れたところでそうしていた。
「今日はプレゼントを買いに行こうと思っていたんです。何とかってカバンを欲しがっていて。…
…家族は無事なんだろうか」
 不安に駆られたのか、少し苦しそうに井上が話している。銀山が小声で言った。
「死亡フラグっぽいなあ」
「何ですか?」
「や、何でもねえ。どうなるんだろうな、俺たち」
 食糧と水は、おそらく自分たちのために用意されたのだろう――と語ったのは井上だった。
鍵も掛けていない部屋のクローゼットに、ああもこれ見よがしに積んでいれば、それは誰か開
けるに決まっている。我々はあれを発見するべくして発見したのだと。
 となると、やはり放置される可能性が高いのではないか――という賀子の言葉を、表立って
否定する者もいなかった。保存の利く栄養食とミネラルウォーターだ。量を考えても、少なくとも
「当座はこれで凌げ」というメッセージを感じる。
「どうなると言うか、どうするかを考えた方が建設的かも知れませんね」
「たとえばどういう行動が取れるよ」
「狼煙を焚いてみるとか、砂漠を抜けて人のいる場所を目指すとか」
「抜けられんのかな」
「知りませんよ。広い砂漠で迷うみたいな可能性は、そりゃあるでしょ。地図も磁石もないです
し」
「ここにいた方がいいんかな」
「食糧がなくなったら餓死を待つだけですね。でも救助とかを期待するんなら、やみくもに砂漠
に出るよりはいいのかも……判りませんけど」
 せめて砂漠の規模を知りたかった。絶対に抜けられないほど広大だったのなら、それはもう
行動の選択肢はなく、ここで救助を待つしかない。だがもしかすると、しばらく歩けば、人里が
見えてくるかも知れないのだ。それが数時間の範囲でないことだけは自分の目で推測できた
のだが。
「それぞれ別方向に分かれて、決まった距離だけ探索するというのはどうですか」
 と、声をあげたのは志度だった。賀子らの話を聞いていたらしい。井上と水野もそちらを振り
向いた。
「探索?」
 志度は頷いた。
「方角は腕時計で判ります。短針を太陽の方向に合わせて、十二時の目盛りとの中間を見る
んです。そこが南。ここが北半球か南半球か、あとは緯度でも変わって来るんですけど、とに
かく方針にはなります」
「まあ、そんな風なことは聞いたことがあるが」
「距離は歩数で測ります。三歩で二メートルとして、千五百歩で一キロ。何キロか歩いて、その
時点で引き返して来れば」
「何の意味があるね? すぐ帰って来られる距離歩いたところで、人里が見付かるとは思えん
が」
「それはそうですが、何かあるかも知れない。たとえば何か動物が見付かれば、ここがどこな
のか探る材料になるでしょう」
「動物って、猛獣とかだったらどうすんだよ。砂漠ならあれ、サソリとかもいるかも知れないし」
「それは確かに悩ましいところだけど、ここでずっとこうしてるってのもさ」
 誰からともなく、溜め息が漏れた。八方塞がり――かどうかすら判らない以上、水掛け論だ。
情報が圧倒的に不足している。
 とにかく何かしなければという焦燥感は、賀子も判らないでもなかった。こうしてここで雑談し
ていても、何か進展するという気はせず、不安だけが膨れ上がるだろう。せめて何かしていた
方がいいのかも知れない。行動としての有用性はともかく、精神の安定は図れるような気がす
る。
「行きますか?」
 賀子の声に、井上が嫌そうな顔をした。
「そんなこと言うが、しかしねえ」
「あまり離れるのも不安ですし、ひとまず全員で建物の周りだけ見てみるとか。強要はしません
が」
「意味があるだろうか」
「判りませんが、判らないかどうかも判らない状況が続くと、それだけで不安じゃないですか」
 渋々、というように井上は腰を上げた。俺も行くよと水野も立ち上がる。
「志度君も行くんだろう。湯田さんはどうするね」
「行きます。銀山君は?」
「俺も行く」
「私は……その、ここにいます」
 奈津がそう言って、眠っている因幡をちらりと見た。
「おばさん……因幡さんだけ残して行くのも、あれですから」
「あ、そうか。二人だけで大丈夫かいね? じいちゃんも一緒にいようか?」
「いえ、大丈夫、です」
 そうして、因幡と奈津を残し、五人で外に出てみることに決まった。



4 湯田賀子  終

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