建物はやはり、外から見ても、それなりに立派だった。わりと新しく、建造もしっかりしている。
やはり賀子の所感は、近所の市民会館に似ている、というものだった。
「砂漠の真ん中に、こんな建物作れるものでしょうか」
「運んで来たんじゃないかね。何にしても莫大な費用が掛かったろうが」
「電話が取られてるってことは、もしかすると通話圏内ではあるのかな」
「さあ……GPSとかの問題かも」
「じーぴーえすって、ああ、ありゃあ衛星だっけ?」
 建物を見上げ、それぞれ言葉を交わす。砂の上は歩きにくく、パンプスでは足を取られる。そ
れを考えても、砂漠を抜けるというのは大儀な案だろうなと賀子は思った。まだ言わないが。
「時差が……判らんが、ひとまず十時間くらいとして。このくらいの気温の砂漠となると、あたり
くらいは付けられんかね」
「エジプトとか?」
「南半球だと、日中の太陽は北に出ているんだろう」
「北半球と南半球だと、渦巻きが逆になるとか聞いたぞ。コリオリの力だっけ」
「んん、僕もなんとなく聞いたことあるけど、どっちがどっちだったか覚えてるか?」
「まさか」
「旭君の時間証言が確かなら、日本から五時間前後で来られる場所ということになるが」
「季節が、どうなんだろう、これは。夜になれば星の見え方で何か判るかな」
「詳しいのかね」
「いえ、僕は全然。どなたか駄目ですか」
「駄目だなあ」
 地理や星座に詳しい人間がいないということが判ったが、たとえいたところで、この状況から
地域を特定するのは困難なように思える。
 井上が苛々と舌打ちし、粗雑な仕草でネクタイを緩めた。
「何だ。何なんだ、これは。もう一度確認するが、あなたたちの中に顔見知りはいないんだ
な?」
 それぞれが顔を見合わせて、首を横に振る。同県出身者すら一人もいない。
「んん。せいぜい、旭さんですか。あの子の家の会社を知っているくらいですよね、我々」
「それを言ったらまあ、あなたの会社も知ってはいるが」
 という井上の言葉はその通りで、志度が配った名刺に印刷されていた会社は、賀子も――と
いうより、まあ大方の日本人なら知っている大手企業だった。新興のアサヒ電気と比べれば、
志度の会社の方が認知度は高いだろう。
「つまり」
 井上は呻くように声を吐き出した。
「我々にこれといって共通項はないのか」
「共通項がないってのが共通項って気もするが」
 よっこらしょと屈んで両手に砂をすくいながら、水野が言う。
「俺ら七人いて、出身も年も仕事もバラバラだ。この辺なんとなく、作為を感じんでもない」
「作為?」
「判らんがね。たとえばほれ、これが丸の内OL七人とかだったら、いかにも同じ場所から適当
に七人連れてきたって感じだろう。だがそうでなくて、全国から老若男女ってなるとさ」
「何のために」
「知らんが、映画なんぞでは、何か非人道的な実験とか、そういう展開がありがちかな。『CUB
E』とかさ」
「あれは僕も見ましたけど。実験だったんですか」
「いや、何か続編でそういう真相が明かされたって話を聞いたんだが。俺はそっちは見てない
から知らんが」
「そんなのは映画の世界の話でしょう。非現実的ですよ」
「この状況が充分非現実的だよな」
 その映画を知ってはいるが、現段階で特に見解は持たない賀子は、話に耳を傾けつつ、各
人の傾向を観察する。
 井上は、現状把握のための考察を深めたいようだ。ただ推測はあまり好んでいないのか。不
確実な情報に揺れまいとしているのが判る。
 水野は推察にも、また行動においても積極的だが、結論を急いではいないように見えた。こう
いった討論においても、ひとまず可能性を挙げてはみるが、本気で言っている訳ではないと言
うか、自分でもそれを頭から信じるつもりはないというような気がする。そしてそれは冷静な判
断だと賀子は思う。何かを確信できる根拠がない以上、結論は保留しておいた方が、柔軟な
発想を阻害しないでおける。ここでの判断はあくまで推測、あるいは妄想に過ぎないのである
し。
 銀山は戸惑っている。いや、全員が戸惑ってはいるのだが、彼は賀子に近い場所で困惑して
いるような気がした。この非常識な状況が現実だということは判っているのだが、どうもなかな
か、感触として実感できない。だから、慎重かつ冷静に状況を見極めている井上や水野が、少
し不思議な存在に見える。これには人生経験の差もあるのだろう。
 志度は、なんとなく、明るいのだろうという気がする。別に楽観している訳ではないのだろう
が、何と言うのか、悲愴さを感じない。これは賀子や銀山の実感できない者たちとは少し違う、
性格から来るものだという気がした。「まあ何とかなるだろう」と思っているような向きを、言葉な
どの雰囲気から感じる。ただの印象に過ぎないのだが。少なくとも言動は前向きだ。
 総じて、賀子はなんとなく――
 出来過ぎているような気がした。
 七人という分母に対して、少し、冷静な人間が多すぎるような気がする。自分も含めてだ。
 たとえば、知能指数の平均値が高そう、とでもいうのか。
 これがハリウッド映画なら、パニックを起こす者がいて、暴れる者がいて、もう一人二人は死
んでいそうな気がする。だが今のところ、そういった者はいない。映画と現実の違いを差し引い
ても、もう少し混乱があっても良さそうな気はした。まあそれは単に、そう、それこそ日本人の
集団であるためかも知れないのだが。義務教育を受けていて、調和を美徳とし、非暴力を教え
込まれており、宗教観が薄く何かと受動的だ。
 しかし、それにしても、と賀子は思う。さきほどコリオリ云々と言っていたのは、確か銀山だ。
志度が建物の探索に出ると言い出したのは、全員が目覚めてから、三十分経つか経たないか
の頃だった。そして一人で外に駆け出したりはせず、館内の一部と、外を少しだけ確認して戻
ってきた。水野は怪しげな水を飲んでみたりと行動が大胆だが、女子供を気遣ってもいる。井
上は口に出す言葉がいちいち慎重で正確だ。奈津や因幡は判らないが。
 やはり少し、行動性のある人間の人口密度が高い気がする。どことも知れない場所で目を醒
まして三時間弱、その間に建物の探索と、食糧の確認、分配。自己紹介に、現状の推測や討
論まで飛び交わせている。暗中模索の集団としては、かなりハイペースな行動配分ではないだ
ろうか。賀子の勝手な所感であり、実際は別に、そんなことはないのかも知れないが。それで
も巨悪の組織の陰謀やら、謎の実験やらの線はアリかも知れない、と賀子は控えめに考え
た。もちろん自分でも本気で信じている訳ではないため、口には出さない。しかし可能性のひと
つとして考えておく分には害はあるまい。
「湯田さん」
 怪訝そうな井上の声に、賀子は顔を上げた。
「はい」
「いや、あの――本当に冷静な顔をしてるな、あなたは」
 たぶん井上も、賀子と同じような違和感を抱いているのだろう。ただ彼は賀子ほど、そういう
映画じみたビジョンを真面目に検討してはいないから、別の方向に推測が行くのだろう。たとえ
ば、賀子が冷静なのは、何か知っているためである、などという。
「パニックを起こせないのは性格です」
 目にかかる前髪を掻き揚げた。
「そういう性格なんです。私の知り合いはみんな知っていると思います」
 それがどういうことになるのか、少し考えを発展させてみて、賀子は胸中で苦笑した。
 映画じみている。自分も。



5 よくできている者たち  終

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